2012年9月20日木曜日

8月26日 / 翔


8月26日。
前日、翔平さんから8時に朝食、9時に出発と告げられる俺。
…8時半に起きる俺。
結局、ゲストハウスで朝食は食べれず、車にフランスパンを持ち込む。
10日前に食べた時、旨すぎて感動したフランスパン。と同じフランスパンなのに全然美味しくない。あれ?なんでだろう?パサパサが止まらない。
…なるほど!ジャムを付けて食べればいいのか!そーすればこのパサパサ感とはおさらばできる。うへへへへへへ!!!……ジャムがない。地獄。
いやちょっと待て。
この俺のクソつまらん朝食話、誰が興味あるんだよ。板倉です。



話は変わりまして、
朝9時。11人乗りの車に16人も乗るという無茶っぷりを経て、クーレン山へ。
シェムリアップ全体の水源であるクーレン山は自然と村と遺跡が共存している素晴らしい山だ。
到着してすぐに翔平さんの知り合いであるマイさん、そしてマイさんと一緒に活動している人たちと合流。
そして一人一台のバイクとおっちゃんを貸し切る。贅沢。
山の中のデコボコ道をバイクで一列になって駆け巡る。さすがシェムリの水源。至るところに小さい川や水溜まりが溢れてる。水はとても澄んでいて綺麗だった。
運転しているおっちゃんは水溜まりに入る度にケラケラ笑う。陽気。やっぱりカンボジアの人たちはいつでも笑ってる。こっちまで楽しくなる。
そうこうしているうちに、あるキノコを栽培している家に到着。
ここでマイさんから現金収入の為の森林伐採によりクーレン山の緑が少なくなっている事、その解決策としてキノコ栽培を推奨している事を聞いた。
そして栽培しているキノコを直接見せてもらったりした。
マイさん曰く、このキノコ、天ぷらにするとめちゃめちゃ美味しいらしい。
食いてえ。


キノコ農家の家を後にして、次は遺跡に向かった。
森の中の道無き道をひたすら突き進むこと20分。遂に到着。
自分らの訪れた遺跡はこの山に48個ある遺跡の中でも特に重要な遺跡らしく、この山の南端に位置していた。
三匹のライオンの像と、一匹の象の像。
そう、…象の像。

そこには像以外の物は何も無かった。だが、像の大きさや存在感にただただ圧倒された。感服。

自分たちが遺跡を見ている間、バイクのおっちゃん達は草を採取していた。クメール料理独特な風味の犯人発見の瞬間である。

遺跡を存分に堪能した僕たちは、次に洞窟に向かった。
中は思っていたよりも深く、そして、広く、そして、コウモリがたくさんいた。
また、洞窟内には特に何もないと思っていたが、入れ墨を入れる為の空間や、お参りをする場所があった。
これらの場所はとても綺麗にされていて、この事から村の人がこの洞窟を大切にしているという事が伝わってきた。
そして出発点まで戻り、バイクのおっちゃんとお別れ。少し遅めの昼飯を食べ、マイさん達とも解散。




お腹が満たされた僕たちは滝へ向かった。
途中で翔平さん、大輝とお揃いの水着+健太郎さんへのサプライズとしてド派手な豹柄の水着を買った。
滝壺に到着。
人生初の滝。
高さ約8mから豪快に降り注ぐ滝。
マイナスイオン満載の滝。
見ているだけでテンションが上がった。
早速水着に着替え、滝壺の中に突入。
…いや健太郎さん豹柄海パン似合いすぎ。ファッションリーダーかよ。

はじゃぎまくり。
泳ぎまくり。
滝に打たれまくり。
とにかく最高の時間だった。

滝を存分に楽しんだ後は、大量のスコールに打たれながらバスに乗り込み、宿まで帰宅。





夜になった。
このメンバーで過ごす最後の夜は、スマイも交えて盛大にBBQをした。
みんなと喋って、騒いで、笑った。
大輝の柔らかい唄声とギター裁きは改めてイケメンだった。
俺のダンスもおそらくイケメンだった。はず。
主催者の二人にはサプライズでメンバーからの寄せ書きTシャツをプレゼントした。
健太郎さんも翔平さんも喜んでくれて嬉しかった。
しかし、それと同時にこの旅が終わりに近付いているという事を実感して寂しい気持ちにもなった。
夜が明けても、いつも通りみんなと朝食を食べ、いつも通りみんなとトゥクトゥクに乗り、いつも通りみんなとカンボジアを楽しむ。
自分にとってもはや日常になっていたこの生活はもう今夜で終わり。
頭では理解していたが、全く実感が湧かなかったこの事実をそろそろ受け入れなければならなかった。


BBQが終わった。
でも誰も部屋に戻ろうとしなかった。
"もっともっとみんなと居たい"

多分ここにいる全員が同じことを思っていた。
全員が最後にこんな風に思える旅に参加できて本当に良かった。
大輝がスピーカーから流していた秦基博さんの「朝が来る前に」を聴きながらそう思った。


「朝が来る前に」の歌詞はこの時の心境と妙にリンクしていて僕はこの歌が大好きになった。
この曲を聴けばいつでもカンボジアで過ごしたこの10日間が鮮明に蘇る。



この旅を企画してくれた健太郎さん翔平さん。
この旅に参加するキッカケを作ってくれた大輝。
この旅で僕と優しく接してくれた庄司さんしのさん愛さんユキりんこすげーひとみんみずきえぐてぃーサンタ。
本当に本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。

8月25日 / だいき


起床。ベッドの隣にはスマイ。この旅で知り合ったカンボジア人。シングルベッドに小さなブランケットを二人でかけあって寝た昨晩とは全く違う二人の寝位置。カンボジア人も日本人も寝相の悪さは変わらない。
昨晩は、スマイと二人でお互いのことを話した。共に好きな音楽の話、それぞれの故郷の話、やはり外せない女の子の話。
彼は自分のつたない英語を懸命に理解しようとしてくれる。何回聞き返しても嫌な顔一つせず、「understand?」とこちらの理解度を確認してくれる。
今日のプレゼンにしても、翔平さんのアシストを受けながらもしっかりこっちの目を見て伝えようとしてくれた。
「自分は英語苦手だしなー。」今までそんな言い訳で話したいことを話そうとしなかった自分が恥ずかしくなった。
"伝えよう"と思えば伝わる。
"理解しよう"と思えば理解出来る。
そう感じた瞬間だった。

これは自分が好きな音楽も同じだと思う。自分のありのままの想いを詞にのせて、ありったけのメロディで唄う。けれど、どんなに良い曲であったとしても大事なのは"伝えよう"とする気持ち。
スマイをはじめ、サンボー村の子供たち、翔平さんのカンボジアでの父母さんは日本語なんて全く分からないはずなのに、自分なりの精一杯で歌を唄うと、満面の笑みで「ありがとう、ありがとう」と語りかけてくれる。

今日訪れたプレアビヒアはどうだろう。タイとカンボジア。隣同士の国で争っていた事実。果たして"伝えよう"と努力しただろうか。自分には知識が少ないから詳しいことは全く分からない。だが、"伝えよう"という気持ちさえあれば罪のない遺跡、そして人間の被害はほんの少しでも抑えられたかもしれない。
もちろん、そんな甘い話ではないことは分かる。こんなことは日本に住んでいる自分だから言えることで平和ボケと揶揄されるかもしれない。
しかし、いくら非難されようと自分なりの精一杯で"伝えよう"とすることは出来る。
その精一杯が自分にとっては音楽なのだと思う。だから自分は音楽を通して伝えたいことを伝えていきたい。
こんなことを言っていながらも自分は世界を変えようとは思わない。しかし、自分の周りの人々が自分の唄でほんの少しでも幸せになってくれたら。
そんな些細な幸せが積み重なって笑顔あるれる人たちが自分の周りにたくさん居る生活を送れたら。
もう、これ以上の幸せはないだろう。世界の人々もとりあえず隣に居る大切な人を全力で笑顔にすること。それが積み重なって終いには国、世界中で笑顔の連鎖が生まれたら。
そんな大それたことを考えていたカンボジアの夜でした。

8月25日 / ゆき


この旅も残すところあと2日。今日はバンに揺られプレアヴィヒアへ向かった。
私はそこがどんなところで何が起きたところだか全く知らなかったのでどんなところに行くんだろうとワクワクが止まらなかった。

チケットを買うところでパスポートを提示。そこで思ったのが今まで行ったとことはちょっと違う。なぜならこの旅でパスポートを使ったのはタイからカンボジアを越える国境だけだったから

理由を聞くと、以前タイとカンボジアで紛争があって、今では治まったもののタイの人は未だにプラアヴィヒアに入れないらしい。

チケットを買ってバンからジープに乗り換える。
健太郎さんが[女の子は内側にのって掴まれるところ探しな]って言ってきたから何が起こるのかと思ったら
ジープがいきなり加速。
最初は振り落とされると思ったけどそんなこともなく、車がいけるところまでいっきに登り上がった。
風に当たりながら早いスピードで荷台に乗るのはとても気持ちが良かった!日本じゃできないもんね

とりあえず、いったんお昼休憩を挟んで雲がかからないうちに頂上へ。運がよければ雨が降ってるところと晴れてるところが同時に見れると聞いていたので、楽しみにしていたら...
見れました、その光景!
一部だけ集中的に雨が降っててなんか不思議だった。

タイとカンボジアの国境あたりが見える場所を見てから崖の方へ
そこからみる景色は壮大でカンボジアが一望できて
なんとなく地球って丸いんだなと思った。

時間があればずーっとたそがれていたい綺麗な場所。

帰りにタイとカンボジアの国境へ
そこには地雷原のマークと有刺鉄線があった
以前はなかった有刺鉄線は紛争の影響らしい。
私たちがジープで登ってきた側にも昔は地雷があったんだけどそれを撤去したのはタイ。
だけど、タイの人はプレアヴィヒアに入れない現状。

なんか難しい

そんなプレアヴィヒアだけど
カンボジアで1番好きな場所になりました。
またいつか行きたい!

8月24日 / えぐてぃ


今日はいよいよアンコールワット!
朝ごはんはCityお馴染みのフランスパン!
美味しく頂いて、
早速Tuk tukでアンコール遺跡群へ向かった。途中、サンタたちと歌を歌って、ノリノリだった。

遺跡には混雑を避ける為に逆回りで廻った。最初に見たのはプラサット・クラヴァン。
この遺跡はレンガ造りで、しかも形もサンボーのものに似ていた。
それを見て、
あのサンボー遺跡の数年後の姿を想像せずにはいられなかった。

どこの遺跡も、発見された当初の姿は、神秘的に感じる。それは長い年月を掛けてゆっくりと自然と調和し、共生してきたから。
現代まで崩れることなく残っているのも土の中に埋まっていたり、森の中に埋れていたり、大自然の影響が大きいと思う。そう考えると、なるべく発見当初の形で保存したいと思うのは確かだ。

しかしその一方で、遺跡が建造された当時、広く見渡すことができる平地に立てられていたとしたら、その姿を見たいとも思う。

プラサットクラヴァンは周りの木々が開かれていて、後者の形に近いだろう。
考えた・・・。
どちらが望ましいという訳ではない。

このままだとサンボー村の子供たちは高等教育を受けられる機会が少ないし、
かといって、アンコール遺跡群のようにしては遺跡の劣化は避けられない。

こうして考えてもキリがないだろう。



アッコちゃんが体調不良で健太郎さんと病院に行くためやむなく離脱してしまった。
あとで大丈夫だとわかってよかった!残念だったけど、また機会はあるし、みんなで来よう!!

途中、売り子の子供たちに囲まれた。
彼らはきれいな日本語の発音で「10枚1ドル」と言って売ってくる。
中には、スピッツの「チェリー」を歌ってアピールして来ている子もいた。
さすがにこれにはびっくりだった。
どこで覚えたのか知りたくなるほど上手な日本語だった。


食堂、と言っても屋根と机があるだけの簡易的なものだが、で昼食を食べた。
おなじみフライドヌードルをおいしく頂いた。
カンボジアの料理は思ったよりも食べやすく、どれもおいしい味だった。
しかし、どこに行ってもほぼ同じようなメニューとほぼ同じ味。
最も味の区別が付かなかっただけかも知れないが、
ここまで1週間少し過ごしてみて味に飽きてしまったのはバラエティの少なさなのだろうか。

昼食後、アンコールトムの本尊だったとされる像があるということでその像を見に行った。

その像のそばには、一人のおばあさんがいた。

翔平さんの説明によると、そのおばあさんはある日、神様のお告げでこの像を守るようにと伝えられたらしい。
そして遠くからはるばるやってきて、ここで30年間もお像の世話をしているらしい。
そして、この場所こそが地域の人の信仰と切り離されてしまったために、「死んだ遺跡」と呼ばれるアンコール遺跡群で、
未だ信仰が続いている数少ない場所だ。

周辺は静かで、木々が落ち着いた雰囲気を演出している。
確かにアンコールの雰囲気とは違った。

この場所もなくなるかもしれない。と聞いて心が痛んだ。
なくなるかも知れない理由はこの場所に書くことはできないが、
どうか残って欲しいというのが自分の願い。

笑顔でお線香の準備をしてくれたおばあさんも悲しそうな顔をしている瞬間があった。
彼女はこの場所がなくなるかも知れないということに気付いているんじゃないかと思った。



自分は観光地化に反対しているわけではない。自分達のような「外」の人間がその場所に入り、
自分の目で直接見ることができるのは、観光地化され厄介なトラブルもなく自由に出入りできるからだ。

でも、「外」の人を入れることで、もともとあった大事なものが失われるのはおかしい。
利益のために政府や先進国が権力を使い、「発展」を押し付けているだけではないか?

自然と信仰がなくなる、それは十分あることだし、あっていいと思う。
しかし、信仰を奪われているという事実も否定はできないと思う。

自分の考え方は理想的過ぎるかもしれない。でも観光地化=平均化(地域の特色を取り払い、
「外」の人が入りやすくすること)は良くない。移動中そう思った。

そのあとは、翔平さんと健太郎さんがアンコールで一番好きな遺跡に行った。
名前は忘れてしまったが、すごく高い神殿のような建物で、裏面にはアユタヤの侵攻で崩され作られた涅槃仏
があった。

そこで、翔平さんをはじめ、疲れていないひとと登った。
下で休んでないで皆くればよかったのに(笑)
すごいいい景色だった。国王はもっと高い所にいたのだろうなと考えただけでもその権力の大きさが分かったようなきがした。

その後、バイヨン、そして遂にアンコールワットをみた。

アンコールワットの城壁をくぐるとアンコールワットの壮大さにびっくりした。
周りに人がいるにも関わらず、誰もいないかのように感じた。

こんなに観光客でごちゃごちゃしているのにこの雰囲気は何だ?

やっぱりクメール最大のなんだなと思った。

1通り見終えて、裏にでた。

あたりはもうすぐ夕暮れ。
自分達以外の人影はない。

みんなストレッチをはじめた…

これから何が始まるか?



そう。

あの、待ちに待った・・・






お約束のアンコールワットマラソンだ。


ルールは簡単。
アンコールワットの城壁と環濠の間の林
5.4kmを一番早く走った人が勝ち。それだけだ。

参加者のボルテージは最高潮。
みんな各自アップを行っていた。
それぞれが闘志を燃やしながら。


そんなとき、翔平さんがこんなことを言った。

正面に回ると警備員に止められて厄介なことになるかも知れない、
半周にしよう。そう提案してきた。


主催者らしい分別のある判断だった。






しかし、断固反対するその他全員。



そう。自分達は警備員に止められようと関係ない。


僕達はこのマラソンのためにカンボジアに来たのだ。


……


……


……


まあ、そういうことにしておこう。



とにかく、翔平さんの意見は通らず、きっちり1周することに。


そして、翔平さんの合図でレースはスタート。

結果は












なんと1位をいただきました!
終盤の翔ちゃんの追い上げがすごくて、
焦ったけど、
途中で諦めなくて良かった^^

ということで、順位は以下の通り!

2位は、翔ちゃん
3位は、ダイキ
4位は、しのさん

5位は、翔平さんとあいさん(翔平さんがイケメン紳士すぎて……。)

あえて、あの人のことは伏せておきます。笑


参加者は程よい達成感と絶えず噴出す汗を得てtuktukにのり、
city へ戻った。
風が心地よかった。帰りに環濠の外から見たアンコールワットは巨大で、
この距離を完走できた自分が信じられなかった。

異国だと本来のパフォーマンス以上のものが出るのだろうか。


「カンボジアでならオリンピックも狙えると思った。」

by

……


……


……


夜のミーティングはスマイの
クメール遺跡についてのプレゼン。

クメールはもともとインドの影響が強く、
ヒンドゥー教などが主だったが、

一時の衰退からクメールを復活させたジャヤバルマン7世
が仏教を持ち込んだことにより、従来のお像や遺跡の一部が
壊されつくり変えられたそうだ。

しかし、遺跡としての意味は変わらず、権力者が親のため、
自分のために建てたものらしい。


今日も内容の凝縮された一日だった。
この旅もあと2日で終わり。
残りはプレアヴィヒアとクレーン山。

まだまだ色んなことがありそう。
残り2日を大切に、もっといきいきと過ごしたい。