サンボー2日目。
朝5時に起きて、牛車に乗る 。おじさんが私たちを乗せて牛車をひいてると、隣人の人、片道だけでも20人弱のひとに声をかけられた。
みんなが顔見知りで、常に声をかけ合いながら生活していた。私なんて、隣りの家の人の顔すら思い出せないのに。
笑顔ふりまくと、笑顔で返してくれる。日本でやったら変なやつなんだろうなー。牛車に乗りながら、引っ越しに遭遇。
翔平さんから引っ越しに出くわすことは稀だと聞いていたので大興奮!
しかも手伝えることに!
家の引越しは、村の恒例行事のようなもので、娘が結婚して家庭を築いた時、そのまた孫が家庭を築いた時などに代々行なわれるらしい。つまり、おめでたい行事のひとつ。
その引っ越しに、村の男たちが一丸となって、家を運ぶ姿はたくましかった。
みんなでひとつの大きな大きな家を動かす。
自分の家じゃなくても、力を合わせて担ぐ。
今の世の中、自分の利益にならないことに労力を使わない。隣に住んでるひとの顔すらわからないという日本に比較すると考えられない光景だった。
家を運ぶのに使う木やつるも村で探して来た自前のもの。
機械やクルマを一切使わずにただ汗だくになって力を合わせる。
お母さんや子どもも心配そうに見守る中、男は汗だくになりながら家を担ぐ。なぜかはわからないけど、涙が出そうだった。
学校で途上国について議論すると、大体幸せとは何か、日本は幸福度が低い、途上国は笑顔が素敵だ、とか言われている。
私も途上国の笑顔の理由が知りたいと思ったのがカンボジアに去年訪れたきっかけ。
こっちに来て思ったこと。確かに日本はモノに溢れてて、望めばある程度手に入って、何不自由なく暮らしている人がほとんどだろう。
カンボジアにはモノがない。最近プノンペンやシェムリアップをはじめとした都市はどんどん発展しているけど、一歩街を抜けて村に入ればそこには何もない。
けれど私が思うのは、『何もない=不幸』という方程式は必ずしも成立しない。
むしろ、『何もない=幸せ』というかたちもあると思ってる。
発展と保存についての議論をしても賛否両論。カンボジアは、沢山の国の支援を受け、現在、急速に発展している。きっともう、近々発展途上国ではなくなるだろう。
クメール人の友人と話していて、驚いた一言がある。
『カンボジアは、外国の支援を受け過ぎている。もちろん感謝はしているけど、もっと自分たちの力で、自分たちの国を作りたい。だって、暇そうな人たくさんいるでしょ?』
たしかに!笑
現地人でもこんな風に考えているなら、私たち外国人が外野からかわいそうだ、支援が必要だ、とかとやかく言う必要はないなあ、たくましいなあと自分の中の固定観念が崩れた。結局、日本人のエゴとか価値観でこっちの人を捉えるのはよくないってことね。
クロマー売って来るおばちゃんも、
ワタシカワイソウ、オネエサンカッテクレナキャカエレナイ。
と言って来て、自分でかわいそうだ、って言えるなら大丈夫だろ!と思わずツッコミたくなりました。
つまり、ある程度の人はもう自分自身のチカラで生きていけるのだなあと。むしろ、こっちの人の方がたくましいまである。
日本人とクメール人、無人島に取り残されたら、生き残るのはクメール人だな。
長々と書いて収拾つかなくなりましたが、要するに、カンボジアも日本も一長一短!
無い物ねだりするのはやめて、お互い受け入れればそれでいいじゃないっていうのが、私の結論。
ひとつにする必要はない。
カンボジアだからこそ良いところ。
日本だから素敵なところ。
カンボジア人の笑顔や暖かさも、もちろん大好き。
でも、それと同じくらいの強さで、私は日本が好きだし、日本人であることを誇りに思う。
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