21日、サンボーは今日で最終日。
6時頃起床し、朝の水浴びでフーフーはしゃぐ男性陣をサンボー村の人達は物珍しそうに、そして笑顔で見ていた。マーケットで食事を済ませ、村を出発する時も、家族は最後まで笑顔で見送ってくれた。サンボーの人達は本当に暖かく、子供は純粋で 心が洗われるような時間だった。私はこの村が好きだけれど、きっと住んでみないと分からない不便さが沢山あって、それは教育かもしれないし、医療かもしれない。
プノンペンへ。
プノンペンに入ると景色は一変、ビルなどが建ち並ぶ都会。食事の時間まで、マーケットを散策したりマッサージへ行ったりプノンペンの街を楽しんだ。私はマーケット周辺を歩いていたとき、店前で仕事をほったらかしにして遊んでいる大人を多く見た。自分は最初呑気に、楽しそうだなぁ~程度にしか思ってなかったが、健太郎さんにその世代の人達はちょうどポルポト政権による虐殺で親を亡くした世代であり 幼少時代、親と過ごせなかった為に 働く親の姿を知らないのだと教えてもらった。
親が仕事をサボる一方で子供が物ごいをしている状況に私は不安を感じた。本来は親が働き子供を養うべきであって、その姿を見て子供は成長し、また親となるのに、仕事をほったらかして遊ぶ親を見て育った子供はどのような大人になって行くのだろう。
夜、食事は安定の韓国料理へ。その後ゲストハウスへ戻ってから一室に集まり、翔平さん・健太郎さんからカンボジアについて話を聞く時間を持つことが出来た。翔平さんからはサンボー村の今後について。サンボープレイクックは今後、観光地化に向け村も急激な変化を遂げること、その開発から生まれるもの、そして開発故に失わ れていっていくものがあること。 健太郎さんからはカンボジアの歴史的は背景をポルポト政権時代に絞って説明してもらい、このプノンペンでは想像も出来ないようなおぞましい虐殺が事実として存在し、そしてその傷跡が今もこの国に深く残っていることを説明してもらった。
プノンペンに来て、街の発展ぶりに驚いたが、本当はとても傷ついた街で、一度めちゃくちゃにされた家族や社会を一から建て直すのは本当に難しく、その代償が今後どの様な形となってこの国に残るのかわからない。 始めの頃は 貧しい と感じたサンボーの村も 現金収入こそないものの、家族がいつも一緒にいて、歴史ある建造物と自然が共存しているあの場所は、むしろ 豊か であったのかなと感じた。
数年後、サンボー村は観光地化が進み景色が変わっていて、子供がトゥクトゥクに笑顔で手を振ることは無くなってしまうのだろうか...。 でもそれは現地の人達にとって発達も必要なことなのではないだろうか...。
私はただの外部者だし、たったの2日間では村の暮らしの本当の不便さなんてわからない、答えも出せない。けれど、サンボーの村のことをこれからも忘れないで考えていたい。 改めて、開発というものは本当に難しい問題なんだと感じた。 吉澤仁美
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